高田修三の空想科学雑談

高田修三が、幾分か科学的に、好き勝手空想する。

やっぱり日本は学歴信仰が未だに強い

海外でも学歴社会の国はたくさんある。その話は詳しくしらないの割愛。

そこで日本の学歴信仰について語っていく。

日本の学歴信仰は、卒業した大学の偏差値の高い低いでその人のことを判断するところだ。

もちろん日本で一番偏差値が高くて、ブランドのある大学は、東京大学である。

次に京都大学で、3番目にいろいろな大学が挙げられている。でも繰り返すが、一番は間違いなく東京大学である。

従兄弟は東京大学卒である。彼に聞いたことあるが、就活は「東大卒なら履歴書適当に書いても受かる」って言っていた。もちろん彼は第一志望の企業に入社できた。

 

東大ならどんな企業でも一番就活が有利で、逆に偏差値の低い、いわゆるくFランク大学だと、入社試験すら受けられないということがある。

 

そこで疑問なのだが東大卒の人はそんなに優れていて、Fランク大学卒の人はそんなに劣っているのだろうか。

 

僕は当然違うと思う。

 

東大卒の人はもちろん勉強できる人だと思う。Fランク大学の人たちは勉強が苦手かもしれない。

でも陳腐な言い方だけど、学校の勉強ができるかできないかで、その人の本当の頭の良さが分かるわけでない。

全く無関係だとは思わない。

学校の勉強ができる人は、頭が良いという傾向はあると思う。

学歴と、頭の良さとの相関関係は無くはないと思う。

でも、無くはない程度である。

だけど、日本人は東大卒の人は、ものすごく頭がよくて、人格的にも良い人までに思われる。

これは明らかな過剰な学歴信仰だと思う。

日本の偏差値主義は害の方が大きいと思う。

偏差値の高い子は自分を過剰評価して、偏差値の低い子は自分のことを過小評価するの可能性がある。

当たり前のことだけど、ここで強調しておきたいが、偏差値の高低が、人間の価値に直結するわけではない。

それでも日本では、偏差値で人を評価する人は少なくない。

偏差値は数字である。

数字で人を評価するのは思考停止だとおもう。

でも、世の中の多くの人は思考停止している(この件については。このブログの他の記事で繰り返し取り上げようと思う)

 

ただ最近は偏差値主義に疑問をを呈す意見が多くなっている。

世間に広まっている偏差値至上主義が確実に変わってきている。

でも一部の人は、今でも根強く偏差値主義を信仰している。

それはある意味仕方ないかもしれない。

偏差値の低い人たちに、言いたいことは、もしかしたら偏差値低いことで馬鹿にされることもあるかもしれないけど、そんなことは全く気にしなくて良いのである。

偏差値が、その人が仕事ができるできないかを、しっかりとした証明した科学的な統計を僕は知らない。

 

ましてや偏差値が、その人が幸せに生きられるかどうかに関係するかなどは分からないのだから。

というかおそらく無関係だろう。