高田修三の空想科学雑談

高田修三が、幾分か科学的に、好き勝手空想する。

働いていないと社会の一員じゃないの?

学校を卒業して、就職して働き始めた人のことを「社会人」と言う。しかし僕はこの「社会人」という言葉に大きな疑問を感じる。

この社会は、就職して働いている人たちだけで、構成されているのでしょうか?そうではないはずである。子供や主婦やお年寄り、そして無職の人。そういう人達もいて社会は構成されているのだろう。

社会人という言葉に隠されているけれど、社会での活動というのは、決して働くことだけではない。子育てをしたり、ボランティアをしたり、ご近所の人と井戸端会議をしたり、遊んだり、さらには部屋にこもってネットをやるだけでも一種の社会活動だと思う。

僕はこの「社会人」という言葉にある種のプレッシャーを感じる。それは「働いていない者は社会の一員に非ず」というものだ。そういえば日本は、戦時中に戦争に協力をしない人のことを「非国民」と言って差別したそうである。僕にはこの二つの例が共通しているように思える。

この「社会人」という言葉は、あまり良い例では使われてはいないような気がする。「社会人なら〜して当然だ」「〜なら社会人失格だぞ」と人にプレッシャーを与える場合によく使われているようだ。

では「社会人」という言葉を他の言葉に置き換えてみてはいかがだろうか?たとえば「労働者」とかどうです?「労働者なら〜して当然だ」「〜なら労働者失格だぞ」・・・どうでだろうか?先ほどに比べてプレッシャーが減った感じがしませんか?

今まで当たり前に、「社会人」という言葉を使ってきた人たちに言いたい。
一度「社会人」という言葉を他の言葉に置き換えてみてください。そうしたらまた違った風に物事が見えてくるかもしれませんよと