高田修三の空想科学雑談

高田修三が、幾分か科学的に、好き勝手空想する。

労働はもはや美徳ではない

ああ仕事疲れた。毎日毎日2時間残業している。
そして明日は、休日出勤だ。なんとか半日出勤にしてもらったけど。

それにしても何故これだけ科学技術が発達したのに、僕らはこんなに働かないといけないのだろうか?なぜもっとゆったりと休めないのだろうか?

それは、日本という国と日本人全体が間違ったサイクルに入り込んでしまったからではないだろうか?そのサイクルを作り上げているのが「労働は何よりも尊い」という価値観ではないだろうか?

そもそもなぜ労働は尊いという価値観が生まれたのだろうか?

それは人類の歴史が飢えとの闘いだったからだ。

日本は江戸時代まで、食料を生産する農民が人口の8割以上を占めていた。
これほど高い人工比率で食料を生産しないと、全員分の食を満たせなかったのだ。
みんながみんな必死に働かないとたちまち飢えて死んでしまう社会だった
当時の人たちもそれを認識していたようで「士農工商」と「士」の次に「農」が偉い存在とされたのだ。

しかし現在では、少なくとも日本をはじめとする先進国では飢えは克服されてしまった
昔では貧困は飢えと直結していたが、今では先進国の場合はなんと貧困層の方が肥満率が高いのである。
日本は自給率40%程度しかないからもっと上げるべきだとよく言われれる。
しかし日本の農業従事者は就業人口の3%程度である。
それで40%もあるということは、単純計算すれば7〜8%の人間が農業で働けば、日本人全員の胃袋を満たせるのである。農民が8割以上だった江戸時代に比べれば10倍以上生産性が向上している。
斜陽産業の代表のように言われている日本の農業ですらこんなに生産性が向上しているのだから、他の産業はもっと向上しているだろう。
今はどの産業もコンピューターを使っているが、コンピューターは「ムーアの法則」というものが当てはまり、計算処理速度は18か月ごとに倍になっている。ものすごい進歩の速度である。

とにかく今の時代は、生産性はものすごく向上して、食料もモノも余っているのだ。
だからデフレになってモノの値段が下がるのだ
だから人手が余って就職難になるのだ。

しかし依然として「労働は尊い」という価値観だけは残ってしまっている。

だから仕事を無理やり作り出して、その仕事をするという変な状況になってしまった
その分かりやすい例がなんといっても公共事業だろう
誰も通らないような道路や、誰も利用なさそうな建物がどれだけ建設されてきだことだろう。
公共事業は無駄が多いとよく批判されるが、無駄が多いのは当たり前である。仕事がないのを無理やり作り出すために生み出された異形の存在なのだから。

もうこんなことはやめにしよう。
職が無い人には直接現金給付するのが一番簡潔で効率が良い

というわけで僕はベーシックインカムに賛成である

ベーシックインカムが実現されれば、無駄な公共事業で、資源を消費して環境を破壊することもない。
就職できなかった若者が、家族から責められて、将来に絶望して自殺するなんて悲劇もなくなる。
本来生活保護を受けるべき人たちが受けられなくて困るなんていうこともなくなる。
そして何よりも、今よりももっと自由な働き方が実現するはずだ。
一日4時間だけ働いて、あとは好きなことをする、一年のうち半年だけを働くなんていう生き方は、今の社会ではかなり難しいが、ベーシックインカムで所得が保障されれば、実現可能性がぐんと増す。

もちろんベーシックインカムの実現によって、全く働かなくなる人も出てくるだろう。
でもそれはそれでいいのだ。
なんたって、今の日本社会は、職が不足して、モノが有り余っているのだ。
働きもせずに、消費だけをしてくれる人の存在は、今の日本のアンバランスな状況を改善してくれるはずだ。

とにかくみなさん、今一度立ち止まって労働の意味について考えてみませんか?

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