高田修三の空想科学雑談

高田修三が、幾分か科学的に、好き勝手空想する。

なぜ不登校だった子が通学するようになることを「社会復帰」と言うのか

一般的に「不登校」と呼ばれる状態は良くないとされている。
そして不登校の状態から、通学するような状態になることをいわゆる「社会復帰」と言う。
しかしなぜ「社会復帰」などと言う言葉を使うのだろうか?
学校だけが社会なのだろうか?そうではないはずである。
しかしこれには理由がある

古代においては教育はその子の家庭や地域社会が担ってきた。
しかし中世近世近代現代と時間が経つに連れて「学校」が教育を担うようになってきた。家庭や地域社会は教育の役割を放棄し、学校がそれを一気に引き受ける。いわゆる「教育の学校化」である。
だから教育を受けている子供たちにとっては学校こそが社会、いや世界の全てになってしまったのである。

果たしてこれは良いことなのだろうか?
先進国の学校教育の目的は、経済の発展のために迅速な事務処理能力を有し、しかし国には反抗しない従順である人間を育てるものではなかったのか?
独創性を持った個人は尊重されなかったのではないか?
でもこの教育方針で先進国は成長を遂げた。そう最近までは。
しかし近年では、社会で求められる能力が劇的に変わっている。
簡単な作業、例えばボルトを締める、AとBの数を足すなど、はコンピューターや機械、または海外の安い労働力が担えるようになってしまったのである。

これからの時代に求められる能力をクリエイティビティだと思う。
しかし今の日本の教育機関が、これからの世界を生きていくだけの能力を育あげるだけの教育を施しているのか甚だ疑問である。

だが心配しなくても良い、前述したとおりそもそも教育とは学校だけで行われるものではなかったのだ
今ではなんといってもインターネットがある。
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「生きている知」がそこにある
今や知の最大の集合地は、図書館でも大学でもない。インターネットである。

だからこれからの時代は学校の教育をまともに受けないで、そこから億万長者になる人や、ノーベル賞を受賞する人が現れると思う。

僕はそういう日が来るのを見てみたいと思う。