高田修三の空想科学雑談

高田修三が、幾分か科学的に、好き勝手空想する。

「社会」とはまるで海のような存在

「社会は厳しい」「そんなことでは社会に出たら通用しないぞ」「社会をなめるな」などという言葉を聞いたことはありませんか?でもこれらの言葉って本当に正しいのでしょうか?

そもそも「社会」ってなんなんでしょうか?
例えば、私たちは、外に出て買い物をしたり、人と出会ってしゃべったり、子供を育てたり、学校に行ったり、職場で働いたり、ボランティアをしたり・・・様々なことをします
そういった人々の行動の場が「社会」なのではないでしょうか?

僕は「社会」は例えるなら「海」のような存在だと思っています。
海とは厳しさと優しさの両方を持ち合わせています。

海で溺れると人は数分で溺死してしまいます。

でも、ひとたび海での泳ぎ方やサーフィンの仕方を獲得してしまったらどうでしょうか

海の中に潜って、海の中のサンゴ礁や泳ぐ魚たちを見ることのなんと心地よいことか。荒ぶる波に乗ってサーフィンすることのなんと楽しいことか。人は海でどうやってふるまえば良いのかさえ学んでしまえば、たちまち海は、優しい顔を露わにし、私たちに、快適さ、心地よさ、楽しさを恵み続けてくれるのです。

社会だって同じなのです。確かに厳しい一面を持ち合わせているのでしょうが、そこらへんは適当にあしらい、のらりくらりとやっていけばいいのです。そうすれば、社会もたちまち、プラスの効果を私たちに与えてくれるでしょう

例えば、ずっと自分の殻に閉じこもり、人と会うのが怖いという人がいます。
なるほど人と会えば、自分の思いもしなかったことを言われたりして傷つくこともあるかもしれません。でも人と接することは、それ以上に大きな喜びを与えてくれることだってあるのです。これは人と接するというより社会と接すると置き換えてもいいでしょう。

泳げないどころか、水が怖くてしょうがないという人がいます。そういう人は、水の中に足をつけたり、顔に水をつけたりして少しずつ水に慣れていけばいいのです。そうすればいずれ泳げるようになることだって不可能ではありません。
社会だって同じです、社会と接するのが怖いという人がいますが、いきなり海で泳ぐような大きなことから始めるのではなく、ちょっと買い物をしたときに、店員さんと一言二言しゃべる。そういうことから初めてはいかでしょうか?

「社会は厳しい」などという言葉は多くの人が口にしますが、その言葉は社会の片方の側面しか表していないと思います。自分の殻の中に閉じこもって、「社会が怖い怖い」と言っているあなた、社会とは決して厳しい一面だけしか持っていないわけではないのです。ほんの少しの勇気をもって、社会と接する機会を作ってみてはいかがでしょうか?