村上春樹風に春を語る
ふーやれやれ暖かくなってきた
オーケー、認めよう、もう春だ。
でも完璧な春などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
そして今日でもなお、日本人の春に対する意識はおそろしく低い。
要するに、歴史的に見て春が生活のレベルで日本人に関わったことは一度もなかったんだ。春は国家レベルで米国から日本に輸入され、育成され、そして見捨てられた。それが春だ。
まったくなにがなんだか
どれがどれやら
さっぱりわけがわからない
男はもうなんだっていいやと思って、
目についた道をどんどん歩いていった。
どれくらい歩いたのかな、もう春だな、そんなことを考えながら。
ふと気がつくと、きれいな泉があったので、男はそこで水を飲んだ
男は草の上に横になって、一眠りすることにした。
4月9日というのは春が来るのには、いちばんふさわしい時点のように思えた
それより前では早すぎるし、それよりあとになると、たぶんもう手遅れだ。
時間は進みすぎてもいないし、あと戻りもしていない
なぜ春というものが来るのか、神様のやることはだいたいにおいてよくわからないんだ
愉快かと聞かれればそんなに愉快でもないけど・・・・かといってとくに不快でもない。
時計を見てふと我に帰った。こんな時間までここで何をしていたのだろうか。
春が僕を取り巻いているような気がした。